2023年12月17日。
夕方の整体院の予約まで時間があったので、お気に入りの本屋と喫茶店に寄って時間を潰すことにした。横浜の阪東橋にある「象の旅」という本屋で「三行で撃つ」という文章術の本を買った。
そこから黄金町を経由して、日出町まで大岡川沿いを歩く。
この辺りを歩く度に何とも言えないノスタルジーを覚える。北海道出身の自分が感じるはずもない郷愁じみた感覚は、横浜中区に残る昭和後期〜平成初期の冴えない街並みのせいだろう。ここで育ったわけではないが、数十年変わらぬであろう無彩色の街並みの断片は不思議と記憶の奥にあった気がする(幼い頃に見たテレビや映画の断片的な記憶のせいかもしれないが、思い出す術もない)。
日ノ出町駅の交差点を渡って、川沿いから一本駅側の路地に入る。日曜の15時過ぎ。開店準備をする周囲の居酒屋の従業員が通りでタバコを吸いながら、新しい1日の始まりを待っている。喫茶店「ぴこてぃ」に入ると、たまたま客足の切れ目だったのか他にお客さんはいなかった。「お好きな席どうぞ」と丸い声で奥さんに案内される。
一番奥のソファ席に座り、ノースフェイスのフリースを対面の椅子にかける。モコモコしたベージュのフリースは見た目ほど暖かくないが、小学2年の息子が「ダッフィーみたい!」といって抱きついてくるので気に入ってる。ホットコーヒーとナポリタンを頼む。オーダーが通って間もなくご主人が奥の方でナポリタンを焼き始め、奥さんがカウンターでコーヒーを淹れてくれる。ぴこてぃには何度か訪れているが、その度に「あ、奥さんがコーヒー淹れるんだ」と勝手に意外性を見出す。
「古き良き」を圧縮した喫茶店の店内は時間の流れが違うような錯覚を覚える(ここで「精神と時の部屋」をレトリックとして出した瞬間にオジサンであることが露呈するので止める)。そのせいか、喫茶店という空間が妙に神聖なものに感じられて、SNSなんて俗なものをイジるのが憚られる。
最近読んでいる「ヘヴン」をカバンから取り出してテーブルに置く。ストーリーは後半に入っている。自分が斜視だからイジメてくるんだろう?と問いかける主人公に対して加害者の男子生徒・百瀬が答える。
「べつに君じゃなくたって全然いいんだよ。誰でもいいの。たまたま君がそこにいて、たまたま僕たちのムードみたいなものがあって、たまたまそれが一致したってだけのことでしかないんだから」
「ヘヴン」川上未映子 P211
学生時代に誰かを虐めた経験も、虐められた経験もないが、どうもヘヴンの中に登場する加害者生徒の台詞には針金のような冷たい現実主義が芯を通しているような説得力があり、「虐める側の理屈」を何となく分かってしまう自分に一瞬緊張する。ヘヴンで描かれる虐めの被害者生徒たちにはニーチェ哲学でいうところのルサンチマンが根底にあり、内なる精神世界の中で繊細に作り上げられた「私たちは救われるべく虐められている」という飴細工のように危うい拠り所が、現実世界での物質的な暴力によって無力に破壊される様子が、前半の輝やいた夏の描写との対比の中でかなり残酷に描かれている。
気がつくと店内にはチラホラ客が入っていた。紙の本を読む私の隣では60代〜70代と思しき紳士が軽やかにipadを使って何か作業をしていた。若いからデジタル、年配者だからアナログというのは時代錯誤のようだ。16:30からの整体院の予約に合わせてそろそろ店を出ることにした。
伝票を持ってレジに向かうために荷物をまとめていると、後から入店してきた20代くらいの女性(全身黒ずくめ、ややふくよかで、言葉を選ばずにいうとオタクっぽくニートっぽい)が、店主に「私は胡麻アレルギーです。このナポリタンに胡麻は入ってますか?」と急に強い口調の質問を店内に響かせたため、店主がやや困惑していた。一言目からトップギアで、威圧的なトーンで質問をぶつけるあたり、ややコミュニケーションが下手なのかなとも勘繰ってしまう。命に関わる大事な質問だが、老夫婦の経営する老舗の喫茶店に徹底したアレルギー物質管理のオペレーションなど期待する方もどうなのか……とつい思ってしまう自分は、「正論は分かるけどさ」と眉をひそめるオジサン中間管理職みたいだなと苦笑する。
2023年の春に急に体調を崩した。
顔や手の痺れ、動悸、頭痛、胸痛、眩暈、息苦しさ。あらゆる症状が出ては消えてを繰り返し、どの病院でも原因はわからず「自律神経が弱っているかもしれない」と曖昧な結論にしかならなかった。メンタル的にもだいぶ落ちてしまい、仕事は基本在宅でこなした。鍼治療など色々試したが、お金が出ていくばかりで一向に良くならなかったが、9月頃からカイロプラクティックに通い出してから少しずつ回復した。治療が効いたのか季節のせいなのかよくわからないが、12月からはランニングも再開できた。自律神経失調症と聞くと、メンタルが弱って体に症状が出るというイメージだったが、どうも体の不調からメンタルダウンに繋がることもある、というのが2023年一番の学びだ。卵も鶏も先になりうる。
2023年の大半は生きることに精一杯で、同時に死についても考えを巡らせることが増えた年だった。だからこそ、年末をこうして平和に迎えられていることがありがたい。そんな経緯もあり、離れて暮らす息子とはなかなか会えない1年だった。それでもイベントごとや授業参観には声をかけてくれる前の妻には感謝しかない。クリスマスが1週間後に控え、頼まれていたポケモンのゲームを帰りに買って帰ることにした。