“自分で選んでるようで、選んでいない”
amazonで買い物をする度に、ふとそんな感覚を持つことが増えた。
「ほうほう、これが好きなのね。じゃあ君はこれも好きだよね?」と、進化を続けるAIは頼んでもいないのに提案をしてくる。
「あなたにイチオシの本」
「こちらもおすすめ」
「よく一緒に購入されている商品」
続けざまの誘惑をうまくかわして、商品を買い物かごに入れ決済をする。飲み会のお店はもう予約しているのに、そこに向かう道中で、他店のキャッチにしつこく話かけられるような感覚。
ただし、問題はこのサジェスト機能がそれなりにツボを突いてくるということだ…。
つい、買っちゃう。
サジェストツールによる売上アップの恩恵はきっと計り知れない。消費者が提案されることで「これも良いな」と思って購入にいたる。これは、消費者側からすると“受動的出会い”と言えるかもしれない。
カスタマーサクセスとか単三電池。
amazonなどのサジェスト機能に対して、「巧みに買わされている……こいつは罠だ!」とネガティブな感情を抱くかもしれない。だけど、もちろん良い面もある。
以前、SaaSベンチャーで営業の仕事をしていた。ある時「カスタマーサクセス」という仕組みを導入する話になり、チームを任された。簡単にいうと、「お客さまがシステムを導入した後に、正しく使いこなして成果を出していただけるように支援する」というコンセプトだ。
営業は「買うまで」を見るが、カスタマーサクセスは「買ったあと」が主戦場だ。お客さまをサポートするという部分では共通しているけれど、似て非なる新しい概念なわけで。とりあえずカスタマーサクセス関連の本を数冊読み漁るという行動に出た。
こういう場面では、サジェストツールは非常に頼もしい。いかなるジャンルにも「鉄板」と呼ばれる名著があって、それを瞬時に把握できる。「営業」だろうと「SEO集客」だろうと、「作り置きレシピ」だろうと、どんなジャンルにも名著は存在する。質の高い情報をパパっと網羅したい時にはとても便利だ。
あるいは、息子や甥っ子の誕生日プレゼントにラジコンやらロボットやらをamazonでポチる。サジェストツールが単三電池を提案してくれて、危うく買い忘れずにすんだ…という経験を持つ人も多いだろう。
サジェストツールは、私たちの生活の利便性と効率性を爆アゲしている。
自ら出会い、選ぶということ。
日曜日。夕方の整体の予約まで時間が空いてしまったので、横浜の桜木町にある本屋に立ち寄った。
STORY STORY by YOKOHAMA YURINDOは、名前は長ったらしいのだけど、有隣堂書店のオシャレ版と思って頂ければと思う。
この本屋は少し変わっている。もちろん、ジャンルごとに棚は分かれているのだけど、その切り口と品揃えにクセがある。普通の有隣堂ではみないような本が並んでいる。
何故かいろいろな本を手に取りたくなる書店である。
店内を見渡すと、多くのお客さんは目当ての本があるわけではなく、なんとなく色々なコーナーをゆっくり見て回ってるようだ。
クセがありつつ装丁の美しい本たちには、やはり手が伸びる。おじさんが『英国式のアフタヌーンティー』を手に取る。隣の棚では、20代くらいの女性が『エストニア紀行』をパラパラ読んでいたり。
もしかすると、もしかするかもしれない。
そのオジサンはアフタヌーンティーに奥様と出かけて、紅茶にはまり、スコーン作りを新たな趣味とするかもしれない。女性は、コロナが明けの久しぶりの海外旅行にはエストニアを選ぶかもしれない。本との出会いは、人生を変えると言ったら大袈裟かもしれないけど、これくらいの変化は結構おこしがちだ。
ドラマチックな出会いは、amazonのサジェストでは叶わない。常に、過去の選択と統計の上にしかレールがないため、突拍子のない素敵な出会いを求めるのは酷だ。同様に、仕事帰りの都心のブックセンターでも、この手の出会いは難しいだろう。消費者の中に「この本が欲しい」「このジャンルの本を買おう」と、あらかじめ答えがある事が前提にあるからだ。思いもよらない本との出会いが起きるような店舗設計になっていないのだ。
どうやら、人生を変えるようなドラマチックな出会いは、いつも想像の外にあるっぽい。
amazonのサジェストやSNSの広告は、あまりに秀逸に提案をしてくる。周到に仕込まれたマーケティングの力に私たちは、もはや「自分で選んだ」という錯覚すら起こし始めている。
それが「運命の出会い」と気がつくまでには、意外と時間がかかる件。
思うに、「運命的な本との出会い」は本を手に取った瞬間、まるで電流が走るように訪れるものではない。
広告だって、「そうだ、京都いこう」を見て、「京都いこう!」と思う人はほぼいない。「変えるなら、きっと今だ」という転職サイトの広告を見て、「転職だ!」とその場で思い立つ人もあまりいないだろう。一滴のキッカケが、波紋を広げていくには少し時間がかかる。
日曜。書店にて。
『教養としてのコーヒー』という本に目がいく。
「最近、豆からコーヒー淹れてないなぁ」と手を伸ばす。パラパラと数ページを読んで棚に戻す。しばらく、店内をウロウロしながら、何冊か手に取っては棚に戻す。帰ろうかと思ったけど、どうにも先ほどの『教養としてのコーヒー』が気になる。
豆を挽くとすぐに香りが立ち始める。お湯を注ぐと、ドリッパーの上で豊かに豆が膨らむ。そういう時間を大切にできていない気がする。だんだんこの本が欲しくなってくる。
なんとなく、買う。
時計を見ると15時30分を少し過ぎたところ。近くのカフェで少し読んでから帰ることにした。凝った喫茶店は近くにないので、とりあえずスタバに入って読み始める。
月曜日。
iphoneのブラウザは、「コーヒーメーカー 本格的」「コーヒメーカー ドリップ 違い」なんて検索しまくってウィンドウが開き散らかされてる。そうやってライフスタイルの中に「コーヒー」という新しいストーリーが始まっていく。
そう考えると、STORY STORY YOKOHAMA by YURINDOとはなかなか秀逸な名前にも思えてくるけど、まぁそれは置いといて。きっと、本が生活を変えていく速度はこんな感じ。手に取った本が、自分のライフスタイルを変えるほどの出会いであったと気がつくためには、ゆったりとした時間が必要かもしれない。
素敵な出会いの能動的な接種を。
欲しい本(少なくともジャンル)が決まっていればamazonでいいのだけど、「想像もしなかった素敵な出会い」は、いまのところ手に入りにくいようだ。あえて、リアル店舗の書店に足を運ぶ。あえて、普段読まないジャンルに手を伸ばしてみる。そんな事で、少しずつ私たちの世界は広がるんだと思う。
今ここにない出会い。リクルート。
なんでやねん。