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Takaprex
本サイトの運営をしています。FUJIFILMのカメラと喫茶店と開高健の小説が好きです。

「今」を楽しむことが下手クソだった10年と、コンサマトリーの話。

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「今を楽しむ」ということが下手な人がいる。

  • キャリアアップできるように
  • 将来いい家に住めるように
  • 健康でいられるように

いつも先のことばかりを見ている。私もそのタイプで、20代後半くらいからその思考はどんどん強くなった。「もっといい会社に転職しなきゃ」「もっと稼がないと」みたいな事ばかりが頭を占めていた。

  • TOEICを頑張りまくる
  • マーケティングの本を読み漁る
  • 転職エージェントに登録しまくる
  • ブログを始めてみる

いつも「将来のため」に生きていた。人からは「努力家だよね」と言われることも多かったけど、生活の中で「これは何かの為になるのか?」と考えるクセがついてしまった。

目次

彼女とディズニーランドにいくのが大嫌いだった。

ちなみに今は好きになりました。


当時、交際していた女性はディズニーリゾートが好きだった。
ハロウィンだ、クリスマスだとイベントあるたびに行きたがった。




正直いうと結構苦痛だった。




だって、生産性がないんだもの。





「お金使って、長時間並んで浪費して……この時間って何の役にたつの?早く家で勉強してぇ……」





勉強が嫌いだった中高生の自分が聞いたらドン引きするような思考の持ち主になっていた。30代になってもその思考は変わらず、旅行をするにも「ブログのネタになるかな」といった調子で、常に「何かのためになる」という理由がないと腰が上がらなかった。





そんな生活を何年も送っていると息苦しさも感じはじめる。カフェに行けばパートナーの話に生返事をしながら「相変わらず話が長くて中身がねーな」と思いながらイライラしてばかり。いつもギスギスしている自分に、「もしかして自分に欠陥があるんじゃ?」と悩んだりも。

それそのものを楽しむ「コンサマトリー」という概念がある。

最近は、「何かのためになる」とか「生産性があるか」とかギスギスした事を考えることが減った。きっかけはしないことリストという一冊の本。




その本の中ではコンサマトリーインストゥルメンタルという概念を紹介していた。


コンサマトリー(自己充足的)

「何かの目的のためにそれをするのではなく、それ自体を楽しむ」という考え方。

例:目的地に到着するために歩くのではなく、歩くこと自体を楽しむ。

インストゥルメンタル(道具的)

「何かの目的のために行動する」「今を犠牲にして先のために頑張る」という考え方。

例:目的地に到着するために歩く。

他の例で言えば、本を読む時に「知識を得るため」「書評ブログを書くため」といった目的のために読むのがインストゥルメンタルで、本を読むことそのもの(あるいは本を読んで過ごす時間)を楽しむのがコンサマトリー的といえる。

基本はコンサマトリー的に生きるのが幸せに生きるコツだ。

「しないことリスト」 何かのためにしない、より




しないことリストの中では、このように主張している。もちろんコンサマトリーかインストゥルメンタルどちらかだけで生きていく事はできないし、両方が必要であるという前提の上でだ。




私のここ10年くらいの生き方はあまりにもインストゥルメンタル的だった。だからいつも肩に力が入っていて、ギスギスしていたのだと気がついた。何かの目的も、狙いも、企みもなく純粋に何かを楽しんだ記憶がない。英語はキャリアップのため。ランニングはダイエットのため。料理もダイエットのため。そんな調子で、目的を見つけては頑張ってみることを繰り返した。結果が出たものもあれば、出ないものもあった。


インストゥルメンタル的な生き方も必要だけど、辛い




インストゥルメンタル的な生き方がダメというわけではない。むしろ、コンサマトリー思考だけでは生きていけない。目標を設定し、それに向けて努力を重ねることで人は成長していくし、人生も豊かになっていく。




ただ、インストゥルメンタル思考偏重だと生き辛くなる。先ほど書いた私の経験のように、大切な人と一緒にいる時間さえも楽しむ事ができなくなる。




ここ10年の中でお付き合いした女性2人のどちらからも「頑張り屋さん」とか「努力家」と言われることが多かった。反面、どちらからも「人をバカにしているところがある」とか「人に厳しすぎる」とも言われたのを覚えている。当時を思い返すと、何かに向かって努力していない人が嫌いだったし、「能天気なやつ」くらいに思っていた。きっとそういう思考が言葉の節々に出ていたんだろう。




インストゥルメンタル思考が強すぎると、「努力こそ正義」となってしまい、努力しない人にたいして否定的になる。「今を生きる」とか言ってるやつを見ると「バカじゃねーの」と思ってしまう。「自分は努力している」「俺は違う」と酔ってしまい周りが見えなくなる。

その「いつか」は来ないかも知れない。だから今を楽しもう。



自分の強いインストゥルメンタル思考は、キャリア形成や収入アップにはとても役に立ってくれた。ただ、すごく幸せだったかというと怪しい。



何かを努力している時は、「いい企業に転職して自信に満ち溢れている」とか「収入が上がって贅沢もできて幸せにな生活を送っている」とかバラ色な未来を描きがちだ。「今は辛いけど、頑張れば未来は明るい」という考えが根底にあるからだ。「いつか幸せになる」という思いだけで頑張っている。




その「いつか」は来ただろうか。




叶った目標もある。だけど、思っていた幸せな未来はこなかったし、思ってたほど幸せを実感した記憶もない。おそらく、私のようなインストゥルメンタル人間は「いつも先しか見ていない」という性質から、夢が叶ってもその幸せを「今のこと」として噛み締めることができないんだろう。だから、その「いつか」はずっと来ない。




こんな生き方では幸せになれない、と思うようになった。
だから、時にはコンサマトリー的な視点で楽しんだり、今の生活の中に幸せを見出す感覚を養うように意識を変えた。いつも先しか見ていない生き方は自分をすり減らしてしまう。もし、アナタにも心当たりがあれば、コンサマトリー的な視点を意図的にもつ習慣付けをオススメする。



結局、コンサマトリーがないと結果にもつながらない



やや逆説的だけど、何かで結果を出すにはコンサマトリー思考こそが必要だ。




「何かの目的のために行動する」「今を犠牲にして先のために頑張る」というインストゥルメンタルの定義からすれば、こちらの方が結果に繋がりやすいように感じる。だけど、それ自体を楽しめないものは長く続かないし、結果にもつながらないで終わることが多い。




私の場合、ある程度モノになったのは英語と写真くらいだと思う。英語はアメリカ人に「どこの州に住んでたの?」と聞かれるくらにはなったし、写真で収入を得ることもできるようになった。




ただ、結局続かずにモノにならなかったことの方がが遥かに多い。中国語は投げ出したし、途中で挫折したブログは数え切れない。「役に立つかも」と安易に考えて始めたものは大体失敗する。その中で、英語と写真はなぜか続いた。きっと「英語を話す」「写真を撮る」という行為そのものが好きなんだと思う。よく「本当にやりたい事に出会う」なんて言うけど、それが自分にとっては英語であり写真だったのかも知れない。




コンサマトリーは”到達するもの”


コンサマトリーとインストゥルメンタルは並列の概念というよりも、前後関係に思える。コンサマトリーは「目的なしに愛せる境地」とも言うべきもので、インストゥルメンタルの先にある概念ではないだろうか。



英語とダイエットは始める人も多いが、挫折する人が多い。ではどんな人が結果を出すのか?というと、「それ自体を楽しめる人」だ。

  • 英語で外国人と話すことが楽しい
  • 映画を英語のまま観る方が生のニュアンスを感じられて楽しい
  • 体つきが変わっていく自分が楽しい
  • 走ると気分がスカッとして楽しい



こうなってくると結果はついてくる。ただ、問題はこのレベルに達するのはかなり努力を要すること。最初からこの意識で取り組む人なんていないだろう。

  • 英語でキャリアアップしたい
  • 英語喋れるとカッコイイ
  • ダイエットしてモテたい



最初のモチベーションなんて大体こんなもんだろう。だけど、これだけだと続かない。どんなものでも、「楽しいから結果が出る」のではなく「結果がでるから楽しい」が実態だったりする。ずっと上手くならず結果も出なければ続けるなんて無理だ。



つまり、何かで結果を出して幸せになろうとするならば、インストゥルメンタル思考から始まり、コンサマトリー思考へ到達する必要がある。「好きこそものの上手なれ」とよく言うけど、それってかなり難易度が高い。「好きになれたらラッキー」くらいに思いながら新たなチャレンジを重ねるくらいが健全なんだと思う。


今を見つめれば、それなりに幸せ。


以前の私のように「将来のために頑張らないと」と言う気持ちが急いてしまう人や、いつもイライラしてしまう人は、何もしなければずっとその生き方を続けてすり減っていくことになる。なので、意識的にコンサマトリー的な視点をもって今の自分の生活を丁寧に楽しもう。


ダイエットのために始めた自炊も最初は面倒だった。だけど、道具を揃えたり、料理をしながら緩いポッドキャストを聴く時間が好きになった。丁寧に生活を送れている気がするし、楽しみながら作る料理は美味しくなる。



お金があるとか、良い会社に勤めてるとか、嫁が美人だとか、外的要因も幸せになる上では確かに重要かも知れない。だけど、最終的には自分を幸せにしてあげられるのは自分しかいない。

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