2025年の12月。11月に亡くなった義父の四十九日法要と納骨のため岡山へ。
法要の前日、妻と牛窓を訪れました。
「せっかくの岡山に行くのなら、瀬戸内海の穏やかな海沿いを歩いてみたい」という私の希望で、岡山駅から電車とバスを乗り継いで牛窓へ。この日は快晴。晴れの国・岡山。 まさに、自分の頭の中でイメージしていた「瀬戸内海」そのものでした。



古い街並みと・新しい創作の町
牛窓は古い町の面影がそのまま残っているが、通りに入ると展示ギャラリーやカフェが点在している。少し移動すれば瀬戸内市立美術館もあり、アート好きには幸せな町。もちろん、どこを切り取っても画になる町なので、写真好きにとっても幸せな町だ。

首都圏で触れる「古い街並み」はどうしても作り込まれたものになってしまう。建物は古いけれど中は店舗化されていて、本当の生活匂いがしない。牛窓は今でも当たり前に人々が暮らしていて、生活が営まれている。
同時に、牛窓はアートの街でもある。御茶屋跡や匙屋スタジオなどのギャラリーでは、地元・岡山の作家の作品が並ぶ。この地に移住してくる作家も多いらしい。


全てがゆったりと輝いていて雑誌みたいだった。いや、雑誌以上だ。私のような観光客からは見えない生活の大変さがそこにはあるのだろうけど、いつか住んでみたいとさえ思える町だった。
翌日、無事に義父の四十九日法要と納骨を終えて横浜へ。
私がお義父さんと最後に会えたのは亡くなる1週間前。癌を患い寛解の見込みもなくなってしまい、自宅での緩和ケアに移ってすぐの時。ステロイドの効果でその日は意識もハッキリしていた。ベッド際にお邪魔して少し会話をした後、力強く私の手を握って「娘をよろしくお願いしますね」という言葉を頂いた。私が貰った最後の言葉だった。
結婚の挨拶に伺った際も、娘に対して「おめでとうございます。よかったですね」と、照れ隠しなのか、実の娘に対してぎこちない敬語を使うのが不器用で可愛らしい方だった。

お義父さんは、長崎の炭鉱(いわゆる軍艦島)で10代を過ごし、炭鉱の閉鎖よる引き上げの際に岡山に移ったと聞く。その後、銀行員となり何度かの転勤の後、神奈川に定着したらしい。お義父さんが、この岡山の海を眺めていたのかは分からない。ただ、自分の家族にこの素敵な場所にルーツがあることが少し嬉しい。
